ホログラフィー理論と仏教

 宇宙物理学の世界に、
「ホログラフィック原理」
と呼ばれるものがあります。
 一九九七年にハーヴァード大学のファン・マルダセナ教授が提唱したことで知られる理論です。
 それによると、わたしたちが住む四次元世界の外にもう一つ、
「五次元空間」
という余剰空間がある。
 それは古典的な超重力にくわえて「負のエネルギー」に満ちた空っぽの空間をそなえた空間で、その世界の情報はわたしたちのいる四次元世界の表面にもコード化されている。わたしたちはそれに気づいていないだけだという。
 では、わたしたちの四次元世界とこの五次元世界のコンテンツ自体は一体どう違うのか?
マルダセナさんによると、両者のコンテンツはなんと全く同一だという。
 要するに、平野純という人間が五次元世界にもいるということですが、その説明の仕方が面白い。
 マルダセナ理論によると、わたしたちの四次元世界は、五次元世界のコンテンツを投影したホログラムのようなものだという。
すなわち、わたしたちもふくめて、この世界に存在するものはすべて「向こうの世界」の投影物にすぎない。
 つまりわたしたちは、伝説的TVシリーズとして知られる『スタートレック』にでてきたホロデッキ(ホログラムによる架空世界の創出装置)に出現するキャラクターのようなものというわけで、マルダセナ説を紹介したL・M・クラウスという理論物理学者は、
「われわれは、鏡の向こうにある現実世界を映したおぼろげな影でしかないのだろうか? それとも……まぼろしなのは余剰次元のほうなのか? われわれの経験する世界がホログラムなら、幻はどこまでで、現実はどこからなのだろう?」(『超ひも理論を疑う』斉藤隆央訳)
 と問うています。
 これはまさに、
 現実/幻影
 の二項対立、二分法が解体される「空」の世界認識を連想させずにはおかない言葉です。
*  *  *
 もっとも、このマルダセナ理論は、その後余剰次元の「実在」説からの逆襲をうけもしたようなのですが、同じ仏教でも「空」理論を発展させた学派である大乗仏教は、「宇宙のメカニズム」をめぐってそれまでの仏教にない壮大な哲学的議論を構築したことで知られています。
 ただ、最先端の宇宙物理学の知見と「空」理論との奇妙な一致がとりざたされたのは、このマルダセナ理論がはじめてではありません。
わたしの知るかぎり、ドイツの理論物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが一九二七年に唱えた、有名な、
「不確定性理論」――自然科学にいう客観的世界など実在せず、それは観察者と観察対象の間に起きる「事件」(「コト」)として記述できるにすぎないとする――、
というこのノーベル賞受賞学者の理論が、
「なんだ、大乗仏教の世界観と同じじゃないか」
 と言われだしたあたりが最初でした。
 大乗仏教の「空」の理論的モデルを構築したのはナーガールジュナ(一五〇~二五〇)というインドの偉いお坊さんでしたが、かれは、『空七十論』という理論書のなかで、
「定義されるものから定義するものが成立し、定義するものから定義されるものが成立しているのであって、両者は相互依存関係にある」
 とのべています。
また、これを受けて中国の『信心銘』という禅の古い書物は、
「見られる対象は見る立場によって成り立ち、見る立場は見られる対象によって成り立つ」(境由能境能由境能)
 と説いています。
 ここで「見る立場」を「観察主体」、「見られる対象」を「客体」という用語に置き換えれば、要するに「観察主体」と「客体」はどこまでいっても相互依存関係にある。客体の「客観的」記述など原理的に不可能、わたしたちは客体をせいぜい、
「何々であるかのように」
観察し、その結果を記述できるにすぎない、ということになります。
*  *  *
「空」理論とは、あらゆるものは「固定的で不変の実体」を欠いているという主張です。
 そこでは世界は相互依存的な関係のネットワークの別名になる。
 仏教はこの一瞬ごとに流動する関係を「縁起」と呼んだわけですが、いまの『信心銘』の主張も「空」思想をふまえたものであることはいうまでもありません。
 そんなわけで、西洋の科学者のなかにも仏教の世界観に関心をもつ人は昔からけっこう多いらしく、最近ではオートポイエーシス理論の創始者の一人F・ヴァレラがナーガールジュナの理論に傾倒していたと聞きました。
 ただ、こうした話を聞いていつも思い浮かぶのは、
「じゃあ、なぜ仏教圏に近代科学が発達しなかったんだろう?」
 という野暮な疑問です。
 これは科学の発達史に関心をもつ東西の専門家によってさまざまな説明がなされてきた問題ですが、その疑問に対する答えとしてわたしが以前『はじまりのブッダ』(二〇一四)という初期仏教に関する本のなかで示したのは、
「最初からゴールにいた人間は走る必要を感じなかったから」
 という仮説でした。
 もちろん冗談ですけど。
 これは禅のお坊さんではありませんが、昔、橋本凝胤(一八九七~一九七八)という薬師寺の管主をつとめた偉いお坊さんがいて、この人は「地動説」は嘘っぱちだと主張したことで有名になりました。
 薬師寺の法相宗は唯識論(世界はすべて意識の投影物とする説)の砦ですので、あるいはその立場からする深い洞察にもとづく主張だったのかもしれません。
 まあ、そこまで主張するのは極端としても、個人的には、仏教の世界観が宇宙科学のそれと一致していると言われて、「やっぱり仏教ってすごい」と喜ぶよりも、ジロリと見返して、
「だからなんなんだ」
 と平然と言い放つ方がいっそ坊さんらしくていいような気がするのですが、どうでしょうか? 〔2017・5・8〕

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