時間SFと仏教

 わたしは昔からタイムスリップ物の映画が好きなのですが、たとえば2017年の日本映画でいえば、『ブルーハーツが聴こえる』がロードショー公開されました。
 斉藤工さんがタイムスリップして高校時代に戻るのが話題のオムニバス映画でした。 
 大ヒットとはいかなかったようですが、劇場でご覧になられた方もおられるかもしれません。
 
 それにしても、映画であれTVドラマであれ、時間SFというのはなぜあんなに面白いのでしょうか?
 日本の作品ならば古くは『戦国自衛隊』、『時をかける少女』、そしてTVドラマの『JIN―仁―』。
 洋画ではごぞんじ『ターミネーター』と『バック・トゥー・ザ・フューチャー』。
 いずれも時間SFそのものか「タイムトラベル」理論を作品の柱にしたものです。
 どれをみても面白く、右にあげた作品はすべてヒットして、続編が作られたりリメイクされたりしました(考えてみれば、堤真一さんが出演した『本能寺ホテル』も二〇一一年の『プリンセストヨトミ』の広い意味での続編のようなものでした)。

 時間SFについてはいままで何冊かの本がでていますが、わたしが最近読んだうち最も面白かったのは、社会理論学者でSF作品にくわしい浅見克彦さんのお書きになった『時間SFの文法』です。
 時間SFの世界的な嚆矢となったH・G・ウェルズの『タイム・マシン』(一八九五)を皮切りに、古今東西の時間物のSFの「精神」を様々な角度から分析した緻密でスリリングな内容からなる、浅見さんならではの書物です。
 浅見さんによると、時間SFの世界において、「物語は現実にはありえないハチャメチャな時間世界を描き出す」。
 にもかかわらず、それを読む(見る)者は、そうした時間をめぐる「リアリティ」の解体になぜか「魂の救済」を感じてしまう、という。
「魂の救済」というのは、なるほど時間SFを見終わったあとに感じるカタルシスをよく表している感じがします。浅見さんはお書きになっています。

「時間SFが顕在化させるニヒリスティックな意識」は「時間SFが浮き彫りにする時代意識のなかで、もっとも基本的なものだと言ってよいだろう」
「読み手はあり得ない時間構成をとる物語の世界にも、現実世界と同じような時間の経過があると思いなしているのだ」

 浅見さんは「そもそもリアリティというのは……物語を物語たらしめる条件、あるいはその本物らしさの問題と結び付いている」と指摘します。
 そして時間SFの時間SFらしさは、本物らしさに関する「価値意識を攪乱するという点にある」という。
 *  *  *
 浅見さんが言う、時間SFを歓迎する現代社会の「本物という価値を疑うシニカルなムード」という言葉――浅見さんがこの本を出版したのは二〇一五年の十二月でしたが、これはその約一年後トランプさんが当選して「フェイク・ニュース」が世界的に流行語になってしまった今にこそあてはまる言葉だったといえるかもしれません。
 そんなわけで、浅見さんの本は時間SFの根強い人気についてのわたしの長年の疑問に見事に答えてくれるものになりました。
 
 ところで、仏教をかじった人間ならば時間のリアリティの解体と聞いて思い出す一人の人物がいます。だれあろう、ナーガールジュナです。
 本サイトの他の文章ですでにふれた通り、かれは「空」の理論を確立した大乗仏教の論客でしたが、じつはその主著『中論』のなかで時間をめぐる精密な議論を展開したことでも知られています。
 ナーガールジュナは、「空」の世界における時間の不可能についてつぎのように説いています。

「過去・現在・未来は相互依存関係として成立する」(『空七十論』)
 それゆえに、
「時間は実体として成立せず、過去・現在・未来の区分はあり得ず、思惟としてのみ存在する」(〃)と。

 いうまでもなく、「関係」そのものに実体はありません。
 ここにいう「思惟」とは「人間の思考」、つまり「意識」のことです。
 ナーガールジュナは、時間もまた他のあらゆるものと同様、人間の意識の産物という点で幻影のようなものにすぎない、と説いたわけですね。
 
 時間のイリュージョン化の意識は、電子的ネットワークの全地球規模での完成がもたらした、
「リアルタイムの専制」、
 つまり、私たちの間の、
「いま、ここ」
 の感覚の先鋭化の現象と見事に握手するものです。
 もっとも「空」思想によれば、この「いま」「ここ」の二つもまた――「空」による「底抜け化」の文法にのっとって――結局は「ゼロ」化の圧力による解体の憂き目にあうわけですが。
 ちなみに、さきに映画やTVドラマを例にあげましたが、日本文学のジャンルでいえば「時間の解体」のテーマを最も執拗に追求したのが村上春樹さんの長編小説の世界。
 実際、村上さんの異世界物の長編小説で主人公が「時間の解体」感覚に見舞われなかった作品は、探すのがむずかしいほどです。
 村上春樹さんは、非SF作家でありながらある意味で「時間SFの文法」を最もよく体現した日本人作家だといえるかもしれません。
 
 この先、時間の「リアリティ」の空無化はIoT社会の進化とともに深化する一方でしょう。
 そう考えると、「時間SF」の作者たちは現在進行中の時間意識の変貌の最も古くからの予言者として記憶されることになるかもしれませんね。

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