AR(拡張現実)と仏教

 AR
 と仏教は意外と相性がよい。
 ARとは、ごぞんじの通り、
 Augmented Reality
 の略称。
 日本では、
「拡張現実」
 と訳されていますが、二〇一六年の夏、この技術を応用して世界的に大ブームを引きおこしたのが、
〈ポケモンGО〉
 でした。
 そのメカニズム自体は、
 (1)カメラが映し出す「現実」の映像をスマホの液晶画面に表示させる。
 (2)そこへCG合成したキャラクター映像をかぶせる。
 という比較的簡単なもの。
 (1)は現実、(2)は虚構の表示映像ですが、(1)と(2)が重なり合った結果、ユーザーは「現実世界」が「ポケモンワールド」になった感覚を楽しめることができました。
〈ポケモンGO〉は「遊び」という生の営みを舞台にしたものでした。
 ただ、現実と虚構の境を蒸発させて拡張現実(ポケモンワールド)を生(せい)の営みの場と一致させるARは、今後、ただでさえ希薄になりつつある現実と仮想現実(バーチャル・リアリティ)の垣根を、あらゆる分野でかぎりなくゼロ化してゆくと思われます。
 たとえば、いずれは、街角でポンと手を叩くと虚空にタッチパネルが幻のように現われ、飛行機や病院の予約をし、終わって手を叩くと消える、という時代が確実にやってくる。
 つまり、「ビジネス」や「病気の治療」といった、遊び以外の生の営みにおいても「現実」と「虚構」の境の蒸発はあたりまえになる。
 ですが、仏教徒はぜんぜん平気です。
「現実と虚構の境の蒸発? だから何なの?」
 ってなもんです。
 そもそも「現実」と「虚構」の間に区別をつけるのがおかしい。一切は「空」であり幻影のようなもの。「現実」もまたそうであり、われわれはただ便宜上それを「現実」と呼んでいるにすぎない――そう考えるのが仏教の立場。
 こうしてみると、ARと仏教の相性は「意外と」どころか、初めからとてつもなくよいと言うのが正しいかもしれませんね。

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