仏教から見た『武蔵無常』

 日本の禅仏教は中世に一つの画期をもちました。「無常」イメージの「朝露」から「電光」への大転換がそれです。鎌倉時代後期に書かれた『天狗草紙』に「朝露よりはかなく見ゆる電光は身の無常をば知るや知らずや」とある通り、「はかなさ」は武者の時代にふさわしく「スピード感」とともに語られるようになり、これ以後、日本仏教の無常観は「朝露」に象徴される「観照主義」と「電光」に象徴される「行動主義」を併存させつつ表現されることになります(ただし、この「電光」型の行動主義にも仔細に見ると静態型と動態型の二つのタイプがあるのですが、これについてはのちに触れたいと思います)。
 私は『村上春樹と仏教』Ⅰ・Ⅱ(二O一六楽工社)という本のなかで、作品の「無国籍性」がさかんに注目される村上春樹さんと仏教の関わりを論じ、その長編作品に顕著な「観照主義」的な世界観を指摘しました。
 本稿でとりあげるのは、芥川賞作家の藤沢周さんが二O一六年に発表した『武蔵無常』(河出書房新社)。早々と結論を先取りすれば、これはまさに兵法者武蔵を主人公に、仏教の「行動主義」の世界観をあますところなく描き切った作品といえます。実際、武士時代の能動的な禅仏教が生みだす「無常観」のダイナミズムの表裏をこれほど徹底的かつリアルに掘り下げ、小説化した例は他にないでしょう。
 禅仏教の基礎をなすのは現象世界を「仮象」とみなす「空」の世界観(「諸法空相」)ですが、いうまでもなくこれはインド仏教が育んだものです。
 ここでは『武蔵無常』に描かれる世界観がインド生まれの仏教の観点からどうとらえることができるかを、三つの論点に分けて論じることにしましょう。
 *  *  *
【不可知論/言葉を超えた世界】
『武蔵無常』が克明に追うのは巌流島の決闘にむかう直前の武蔵の姿です。もちろん作品の最後には決闘自体も描かれますが、二O二頁からなるこの小説のうち一八五頁は巌流島の波打ち際に立つまでの武蔵の心理的な葛藤のドラマの語りに割かれています。
 ここで私が興味を惹かれたのは、本書に登場する武蔵が初めからすでに「世界は不可知なり」と見切った存在として描かれているということです。
 念のために急いでつけ加えるならば、「世界は不可解なり」ではありません。これならば、世界の見切り(いわゆる「悟り」)に失敗した哲学青年の煩悶にすぎません。藤沢さんの武蔵は違う。兵法者武蔵は「世界は不可知なり」と見きわめた、それゆえに煩悶するのです。つまり藤沢武蔵は、こと仏教的世界観の獲得に関するかぎり、失敗していない。それどころか見事に成功している。成功したがゆえに悩むのです。
 まえに禅仏教の基礎にあるのが「空」の世界観だと書きました。これは正確に言い直せば、
「自他不二」の世界観
 を意味します。万物は「自」「他」の区別なく「空」、すなわち仮象であるという「空」の一元論ですね。ところが、これが武蔵のような行動家にとっては苦しいわけです。
 なぜか?
 日本の禅宗が好んで用いた文句につぎのものがあります。
「月を指したら指を切れ」
 ここにいう「月」とは真理のたとえで、「指」は言葉をさします。言わんとするところは、真理をつかむのに言葉は必要である。だが、言葉は結局真理を便宜的に表わす道具にすぎない。真理は究極のところ言葉を超えたところにある。真理を言葉で語った者はすみやかに言葉を切り捨てねばならない、ということです。
 これはインド仏教の「真理」観を忠実にふまえたもので、大乗仏教の論客ナーガールジュナは『空七十論』という理論書のなかで、
「究極の真理は、ものはすべて空であるということに尽きている」
 としつつ、一方で、
「空とは認識不可能という意味である」
 とも説き、中国の学僧たちはこの「認識不可能」を「不可得」と訳しました。いうまでもなく、ものを認識するとは言葉で表現することですから、ここではさきほどの切指の教えと同じ考えがのべられていることになります。
「悟り」とは「万物は空」との真理を会得することです。そして、ここに行動家にとっての迷いが生じる。なぜなら、行動家とは基本的に知行合一、すなわち言葉と行動の一致を欲する志向の持ち主だからです。真摯な行動家であればあるほど迷いは激しいものになる。
 江戸の後期、良寛(一七五八~一八三一)という坊さんがいました。村の子供たちと鞠をつきつつ歌を詠んだことで有名な禅僧ですが、かれの作った漢詩にこんな一節があります。
 凡従縁生者縁尽滅   すべて縁より生ずるものは、縁尽くれば滅す。
 此縁従何生      この縁、何より生ずる。
 又自前縁生      又、前縁より生ず。
 第一最初縁従何生   第一最初の縁、何より生ずる。
 至此言語道断心行処滅 ここに至りて、言語道断、心行処滅す。
 だれかがものとは何かと「縁」(=関係)をさかのぼる。そして世界の起源(「第一最初縁」)とおぼしきものを突きとめる。すると、その瞬間に「では、その起源なるものはどこからきたのか?」が問題になってくる。そこに至って、言語による認識の道は不可能(「言語道断」)になり、世界はもはや人にとってあらゆる思慮を超えたもの(「心行処滅)」とみなす域に入ってしまう。
「言語道断」と「心行処滅」は対句として登場することが多い、大乗仏教の代表的なフレーズの一つです。
 良寛はこうして世界の「不可知」を見切ったうえで、子供たちと鞠をついて遊ぶ観照主義の道をえらんだわけですね。
 世界とは「形あるもの」のことです。インド人は仏教誕生以前から世界を「ナーマ・ルーパ」、つまり「名前と形」と呼びました。この「名前」とは言葉のことです。
 藤沢さんは、魔物の気配にとり囲まれてあえぐ武蔵にこう自問自答させます。
「言の葉にのれば、形を成し、斬ることができる。だが、言の葉にならぬものは見えぬ。己は剣を遮二無二振り、むしろ形なきものから形を創り出そうともがいている」
「見えぬ、というのは、言の葉にのらないということだ。名指され、形あるものだから、斬れる。名指されぬものは、己に襲いくる闇の中の影に等しい。やたらに木剣を振り回し、あがくのは、自らの心の奥底にある闇の中の影をとらえることができぬからだ」
「すべてを形あるものとし、見えるものとする、己の言の葉。そして、己の言の葉から零れ蠢くもの。それらとの間合いの取り方が、恐ろしき魔物を育んで、十方も天地も破壊してきたのである」
 これは、世界(とそれを超えた何か)との間合いの取り方をめぐる行動主義者につきまとう葛藤であり、また「空」の世界観を会得した者のみに許される煩悶にほかなりません。
 私がさきに藤沢さんが本書で禅仏教が生みだす無常観のダイナミズムの「表裏」を作品化したと書いたのはこのためです。
 *  *  *
【相互投影/ゼロの汎神論】
 さて、前項で「自他不二」の世界とは、万物が「自」「他」の区分を失して「空」、すなわち仮象となる世界だと書きました。仏教はしばしば「縁起の教え」と呼ばれます。が、これはじつは「自他不二の教え」を言い換えたものにすぎません。
 中国の華厳宗に法蔵(六四三~七一二)という坊さんがいました。則天武后に仕えた傑僧でしたが、かれはあるとき「縁起の世界観とは何か」という下問を女帝にうけた。かれは弟子たちに命じて、十面の鏡をもってこさせると、鏡を上下左右に立てた空間を作りあげました。その空間の中心に像をおき、灯火で照らすと、どうでしょう、そこには無数の像が目もあやに相互反射する世界が現われた。
 これは、万物の「相即相入」の無限縁起の世界の核心を説いた法蔵のパフォーマンスとして名高いものです。
 縁起とは「関係」のことです。そこには「自」/「他」の二分法はない。「自」も「他」も実体を欠いた関係のネットワークのなかの反映像になり果てる万物照応の世界。私はこの世界をよく「ゼロの汎神論」と呼びます(「空」はインド数学でゼロをさすシューニヤの訳語です)。それはまた万物に実体のない「我」が宿り、遍満する世界です。
 前出の大論師ナーガールジュナが世界について、
「世界はガンダルヴァの城(蜃気楼)のように実体を欠いている。ものの存在は影像にすぎない」
 と自著『六十頌如理論』で説き、またそれを註釈したチャンドラキールティが、
「ものは反射像(鏡像)のごときものとしてある」(『プラサンナパダー』)
 と念を押すとき、かれらの言う「もの」とは「我」の言い換えにほかなりません。こうして、「万物は空なり」と見切った藤沢武蔵に待ちうけるのは、他人を斬ることは自分を斬ることだという残酷な「真実」であらざるを得ない。それは「万象」(万物)を超然と「観る」ことに飽き足らず「万象との間合いを詰める」行動主義に賭けた兵法者武蔵の宿命でもあります。
「死なずに空となる禅定を得ることができれば、敵も我も天下無双も何もなく、また何ものでもある。森羅万象の隅々に己が宿り、己の中に森羅万象が宿る。
 否、さような言の葉さえも空に溶けて、浮かびもしないからこそ、自他不二の禅定」
「自他不二」の世界では「生」と「死」の二分法は廃棄されます。どちらもが「空」(=ゼロ)の一元論のもとに「仮象」化のなかで溶解の憂き目をみざるを得ない。
「自他不二」の「空」思想を最もポレーミッシュに説く経典『維摩経』は、人間を「芭蕉の茎の如く空っぽで、陽炎の如く虚妄。無価値な『空』のからくり人形にすぎない」と喝破しました。
 兵法者武蔵を突き通すのもまた、
「己は生きているのか。
 己とは何だ。
 己の一挙手一投足には、何の意味がある。
『がらんどうじゃ、がらんどう』」
という〝見切り人〟の果てない問いかけの石つぶてです。
「この立てられた木切れさえも、また己であるということもある。あるいは、木切れを倒した微風すらも。いや、未生も死後すらも、分別の無い仮象として森羅万象の一つ一つに宿っているともいえる。あそこにも己がいる。ここにも己がいる。己の腕にも死者の霊が宿り、脚にも風が吹き、心の臓にもまだ生まれぬ刻が震えている」
 そう、「自他不二」の世界では有機物と無機物の区分もありません。人間も木切れも石ころも等しく「空」とされる。
 また、そこでは生死の区別も蒸発する。時制も解体し、過去も未来もなく、未生(前世)も死後(来世)もなく、あるのは、「空」なるいまこの一瞬だけです(前出の『維摩経』の作成者たちはこの一切の底が抜けた世界の「あり得なさ」を強調するためにそれを「死者の性戯」や「去勢者の勃起」にたとえましたが、中国人の翻訳者はもちまえの道徳主義からこれらの翻訳を嫌い、ときにカットしました)。そして兵法者武蔵は「いまこの一瞬」に世界との間合いを詰めることに賭け、刀を振るうのです。そこにはもはや「山川草木悉皆成仏」といった観照主義家のセンチメンタリズムが入りこむ余地はありません。
「(武蔵の)胸の言の葉があまりに透いている。
『……万象との間合いを……』
 万象との間合いを一気に詰める……自らを消す……。己が万象になる、とでもいいたいか。
 否、万象の裏に回って、振り向きざまに法界の後ろ姿を袈裟に斬っている己の姿が見える、だろう……。
 浅ましい。そして、弱い。
 斬られているのは、現世に陽炎のようによろぼうている己の方ではないか、と男は色の悪い唇を噛んでいる。その曇った鏡の内にいる自身を、勝ちに憑かれた自身が斬って、三千世界を粉々にしている。己こそが世界の障礙である。
 その通り。おまえこそが世界の障礙である」
 兵法とは何でもありの世界です。武蔵は兵法者のなかの兵法者です。武蔵は兵法を極めるなかで「世界の時制のむこう側に突き抜ける瞬間」を体感した人物です。「男(武蔵)には、今でいう文法がないのである。形式がないのである。その突き抜け方が尋常ではないという一点に尽きる」と評される男です。仏の教えが正しいならば、突き抜けたむこうに「真」を見出した者ならばだれでも、世俗的な道徳も、また逆に反道徳の悪も平然と駆使できる存在になれるはず。ところが、武蔵の葛藤は果敢に「突き抜け」たまさにその瞬間からかれをとらえたのです。このあり得なさはどうでしょう?
 しかし、そのあり得ないことが起きたのです。
 世界は初めから底が抜けている。だから美しい。だからとらわれることなく、世界と戯れよう――武蔵にとって、そんな達観した中世の隠者の物言いは観照主義者の怠惰の表白にすぎません。
 武蔵はいま、一切が四方へ無限に遠のいてゆく鏡の世界にいます。武蔵が振るう刀は仮象であり、振るう武蔵も仮象です。それでもかれは刀を振るわざるを得ない。なぜなら、それが武蔵にとって生きることだからです。
「男(武蔵)の煩悩である兵法の病いを断ち切ることができるか、否か」
 鏡の反射のピースになり果てながら独り暴れ回る武蔵。読者はそんな仮象の武蔵のリアルそのものの息づかいを聴く、あり得ない体験を味わえる。それは藤沢マジックが、『武蔵無常』が小説的な成功を克ち得た瞬間だったといえるでしょう。
 *  *  *
【二種類の無常/静態と動態と】
 ここで本稿の冒頭の話に戻ることにしましょう。
 日本の禅仏教で「無常」イメージの「朝露」から「電光」への大転換が鎌倉時代におきたことをのべました。
「空」とはものが「固定的で不変の実体を欠く」ことをさします。ものは無始無終の「関係」のなかで流動するものだというわけですが、これを空間的にとらえると法蔵が鏡の小部屋で説いた相互投影の世界になる。一方、「一瞬ごとに」流動する側面に注目すると「無常」概念がでてきます。
 つまり、「空」と「無常」は結局同じこと、後者は「空」の時間的な側面に焦点をあてたものだということが明らかになります(もっとも、歴史的にはブッダが説いたのは「無常」で、「空」が大々的に主張されるのは大乗仏教になってからですが、いまはこの問題には踏みません)。
 日本では『平家物語』(祇園精舎の鐘の声)や『方丈記』(ゆく河の流れは絶えずして)の名文で代表されるように、「無常」は詠嘆的に語られることが多い。
 藤沢武蔵においても「無常」はかれに「鬱」をもたらしたものとして作中で語られる。
この「無常」が「空」の相互投影的な空間把握と表裏一体をなすことはすでにのべた通りです。そしてそれは「山川草木悉皆成仏」(さらに「山川草木悉有仏性」)的な観照に結びつくわけですが、藤沢武蔵の場合、そうはならない。
 なぜなら、「無常」は巌流島に先立つ一乗寺下り松の決闘で吉岡一門の七、八歳の幼子を斬り殺す刹那、「恐怖で見開いた子供の目の中に、刀を振り上げる自らの黒い影が歪んで映っていた」のを発見するというすさまじい「相互投影」の場面で武蔵に「鬱」を植えつけるからです。
 じつは、これは私がこの小説で最も面白いと感じた場面でした。
 唐の法蔵は鏡の小部屋に像をすえる仕掛けにより、華厳哲学の「相即相入」の縁起、すなわち「空」の存在論を伝えた。それは、一つの像が無限に相互反映をくりかえしてゆく「空」の「底の抜けた」メカニズムを鮮やかに示す天才的なパフォーマンスでした。
 一方、『武蔵無常』ではどうか。武蔵は幼子の瞳に映る自分の姿を見出す。そしてそれは武蔵をめぐる無限投影の始まりを意味します。実際、幼子の瞳に宿る小さな武蔵。その小さな武蔵の瞳にも、幼子の瞳に映るさらに小さな武蔵の姿が宿る。そして、そのさらに小さな武蔵の瞳にもまた――と、こうして一人の武蔵は相互反映を通じて無限に増殖してゆく。ここでは対面する二つの瞳が法蔵の「鏡」の役割を果たすわけです。
 法蔵の「相互反映」はしょせんパフォーマンスの所産です。唐の宮廷の優雅な遊戯にすぎない。これに対し、藤沢武蔵の「相互反映」のなんと剥き出しなことか。それはまさに、幼子の首を切るという血飛沫が噴き出る場面に出現し、「法」を示すのです。
 ミもフタもないといえばミもフタもない。しかし、これが兵法なのです。
 さて、ここであらためて武蔵が貴族でもなく武士ですらなく兵法者だったことに注意してください。
 鎌倉時代の禅仏教で「無常」が電光のイメージと強い結びつきを得たことはすでにのべた通りです。ただ、この転換の影響下にあったのは武士にはかぎりません。
 後醍醐天皇に重用された家臣に日野資朝(一二九O~一三三二)という公卿がいます。資朝は政争にまきこまれ、佐渡に流罪になったすえに斬首されます。
 かれは死ぬ間際、次の歌を詠みました。
「五蘊仮に形を成し
 四大いま空に帰す
 首をもって白刃に当つ
 裁断す一陣の風を」
どうでしょうか? 最後の二行にみる瞬息感。京都の公家貴族の出とはいえ、資朝が「朝露」型よりも「電光」型の無常イメージに依っていることは明らかでしょう。
 また、こちらは時代が下りますが、戦国時代、中国地方で勢力をふるった大名に大内義隆(一五O七~一五五一)という人がいました。
 かれは、四十四歳のとき家臣の陶晴賢に討たれて死ぬのですが、死に臨んでこう詠んでいます。
「討つ者も
 討たれる者も
 もろともに
 如露亦如電応作如是観」
 この最後の一行は『金剛般若経』の「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」から借りたもので、「世界は露や電光のようにはかない」と観るべき、という意味の文章です。
 ここでも「露」とともに白刃の一閃を意識した「電光」の無常イメージが動員されています。
 ですが、重要なのはこれらはいずれも辞世に詠みこまれた「無常」だったということです。それは藤沢武蔵の武骨な「無常」とは似て非なるものです。
「礼をするかのように見せて、右足の爪先で地をにじって寄った。……
男(武蔵)はいきなり腕を上げて、木刀の先を宙に刺すように掲げたのである。……
 男の手の内には、頭蓋の骨が折れた感触と、互いの総身が収斂したかのような塊があった。それで事足れり。二の太刀など無用であった。三千世界の無辺際に己のみが立っているのを男は確かめて、その場を去ったのだ。
 名乗りを上げることもしない。立合いの礼節もあったものではない。
 近寄った。
 木刀を振り下ろした。
 勝った。
 それだけである。ただ、男にとっては勝つことのみが目的であり、それ以外のことは決闘にとって邪魔なものでしかない」(「……」は引用者)
 ここには「不生不滅」「煩悩即菩提」の諦観的な感傷はかけらも見られません。
 詠み手が公卿であれ武士であれ、辞世の「電光」には「朝露」の静態的なイメージがひそかに塗りこめられている。シンと宿る「露」は長い人生の回顧に似つかわしい。
 だが、藤沢武蔵は「末期の眼」をかかえて滅び去る人ではなく、「末期の眼」をかっと見開いて生きる人なのです。
「ただ、人が血しぶきをあげて倒れ、断末魔の叫びを上げ、死んでいく。己がいようがいまいが、世界の景色はまったく変わらない。このように狂うても、このように人を殺めようと……」
「空」は動と静の二分法を最終的に廃棄します。敵を斃して巌流島を去る舟上の武蔵の眼に映る風景に読者が見るのもこの理です。
「白い峰雲が言の葉をも呑み込んで、不動のごとくそびえているのが見える。
 静かとは、また十方世界のすべてがたえず生まれていることの謂でもある」
『武蔵無常』はこの印象的な一文をもって幕を閉じます。
 藤沢さんは兵法者武蔵を描き切ることで、時間的ダイナミズムとしての「空」、「無常」の世界を鮮烈に読者に垣間見せる難事業を成就したといえるでしょう。(了)

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