仏教から見たLGBT問題

 何年か前、仏教思想史をあつかうわたしの本を読んだという読者の一人からこんな質問をうけたことがありました。
「LGBTの問題について仏教はどう考えますか?」
 LGBTという用語がメディアに登場して湯気をたてていた頃のことでしたが、
「そもそも問題にする方がおかしい」
 というのがわたしの答えでした。
 よく知られているように、仏教は万物は「空」の名のもとに絶対無差別という世界観をもちます。人間や動物などの生き物はもちろん、石ころなどの無生物もふくめてすべては「空」。この立場からは男女の区別という発想自体が生まれない。
「男」/「女」というセクシャリティの伝統的な区分けについての見方自体がそうなのですから、区分けからの逸脱と(伝統的には)みなされた人々への差別があり得ないことなどあえて言挙げするまでもないことになる。なるのですが……では、仏教はこれらセクシャリティに絡む問題についてそれほど「先進的な」立場をとってきたかといえば、イエスとは言いかねるところがあります。
 日本の仏教関係者のなかには、仏教が開祖のブッダの時代から尼僧、つまり女性の出家者を認め制度化した事実を指摘し、誇るむきがあります。たしかに、いまから2500年前の当時、女性の聖職者を認める宗教教団は世界的にみても珍しく、例外に属していました。
 その意味では「性差別」の問題について仏教は自慢できる歴史をもつとも言えるのですが、ただ、それでは当のブッダ自身がこの問題についてどんな態度をしめしたかを見ると、話の雲行きが怪しくなってきます。
 ブッダの教団は初め男性修行者を集めて発足しましたが、やがてかれの説法に魅了されて出家を志願する女性たちが現れた。ブッダの教団はこうして尼僧の承認問題というチャレンジをもつことになるわけですが、このとき承認を最もシブったのが教祖のブッダでした。
 古い経典はそのときブッダが口にした「男だけの教団ならば仏教は1000年は続く。が、女性の出家を許せば500年で滅びる」という嘆きの言葉を伝えています。
 結局、この問題は、ブッダの侍者をつとめる「革新派」のアーナンダの説得にブッダが折れる形で尼僧を受け入れることで決着をみるわけですが、研究者のなかにはこのときのブッダの「躊躇」は「不犯」(性的行為の禁止)の重視からくるもので性差別とは無関係だと主張する人もいます。「不犯」は殺生の禁止と並んで仏教が設けた最も重大な戒律であり、ブッダは男女の出家者が「同居」することで「不慮の事故」が生じる機会が増すことを懸念したにすぎないというわけです。
 これは一見もっともらしい理屈に聞こえますが、ただ、その後女性出家者の受け入れを決めた教団が彼女たちについてさだめた管理規則をみると、この論拠もいささか疑わしくなってくる。
 原始仏教には『律蔵』(ヴィナヤピタカ)という出家者の生活規則を集めた経典があります。そのなかに、尼僧をめぐるこんな一文が登場します。
「女性出家者は、どれほど修行を積んだ古参の者でも、すべての男性出家者に身を屈め、合掌して敬わねばならない」
 すべての、というのは出家したてのどんな若僧に対してもという意味を含んでいます。これに対し、男性出家者が女性出家者に敬礼することは禁じられており、違反すれば罪を犯したことになりました。
 それだけではありません。
「女性出家者はいかなる場合においても男性出家者を罵倒したり非難したりしてはならない」
 という規則もあり、では男性の出家による女性の出家に対する罵倒、非難はどうかといえば禁止の対象にはならず、不問に付されるとされました。教団が当初から修行者間の性行為の問題に神経質になったことは事実ですが、いまの二つは純粋に「女性は下位に置かれるべし」という規定で不犯云々とは関わりがない。また、「男性出家者は女性出家者の犯した罪を指摘できるが、女性出家者は男性出家者が罪を犯しても指摘してはならない」という規定まであり、これなどは不犯とはさらに無関係だということになります。
 初期の経典にはブッダの女性観について、「すべての河は曲がりくねり、すべての森は木からなり、すべての女は機会さえあれば悪事をはたらく」というものすごい歌をかれが口ずさんだという逸話をのせるもの(『ジャータカ』)まであり、これは本当にブッダ自身の言葉か、ブッダにかこつけて経典の作成者が創作したものか不明とされますが、いずれにせよ初期の仏教が「万人平等」の美しいタテマエとは別に性差別的な態度を崩さずにいたことは間違いないでしょう。
 一方、LGBTに対してはどうだったでしょうか? もとよりこの時代のインドに性的マイノリティをさすこのような用語はありませんでしたが、仏教教団の規則の一つに「遮法の規定」と呼ばれるものがあります。教団が入門志願者の審査にあたって入門を拒否すべき人間を列挙した規則で、そのなかに「パンダカ」という人々がでてくる。これは中国で「黄門」と訳されましたが、去勢者および同性愛者をさすインドの言葉です。規則によれば、「黄門」と判断された人はただ入門を断られるだけではありません。出家後に「黄門」であることが判明した場合はただちに出家者としての資格が剥奪され、追放されることになっていた。
 仏教において出家による修行の目的は発足の当時から「悟り」を開くことを通して心の安らぎを得ることですが、「黄門」とみなされた人々にかぎっては、初めからその道は閉ざされることになります。
 もっとも、これに対しては、この規定はあくまで教団の「風紀維持」という実際的な目的に発したもので、教団の外で自由な立場で修行する同性愛者が悟りを開く可能性までは否定していなかったはずだ、と主張する論者もいます。
 たしかに仏教のタテマエからすればその通りなのですが、先の女性蔑視丸出しの露骨きわまる規則を見るかぎり、同性愛者がそこまで平等に「人間的敬意」を払われていたのか疑問符をつけざるを得なくなるところです。
 以上は、インド時代の仏教教団の例ですが、では翻って日本の仏教の教団の実情はどうだったかといえば、教団内における性行為の禁止など影も形もなくなるという異様な展開をむかえることになりました。
「不犯の戒」はインド仏教では「殺生の戒」とならぶ最重要の禁忌でしたが、日本では平安の末期頃には出家者の妻帯は世間からまったく驚かれなくなった。
同性愛についても同様で、いわゆる稚児との交情は寺の僧侶としての神聖なたしなみの一つとみなされ、鎌倉時代の寺には、少年修行者が師僧に犯されて初めて僧としての資格が許される「稚児灌頂」(ちごかんじょう)という驚くべき儀式までありました。
室町中期の臨済宗に一休宗純(1394~1481)という民衆に人気が高い禅僧がいましたが、かれは多くの詩作をものしたことでも知られています。主要な作品は詩集『狂雲集』におさめられましたが、そのなかにこんな詩がでてきます。

 従来 臨済 大人の禅
 元字脚頭 心念の前
 即今 もし我が門客とならば
 野老の風流 美少年

「元字脚頭」(げんじきゃくとう)とは経典の細かな字面のことで、「野老」とは美少年を前にした野卑な田舎親爺、つまり一休自身をさします。現代文に訳してみると、
「もともと臨済の禅は大きな器の人間になるためのもの。それなのに、そんな趣旨もわからず、この目の前の少年僧ときたら、経典の細かな文字面に気を奪われておるわい。もしこいつがわしの門弟になると言ったら、何かまうものか、大いに風流心を発揮して、この美少年を野卑な田舎親爺のえじきにしてしまおう」
 右の詩には「弟子の癖」という題名がつけられていますが、おそらくこのとき一休の前に現れた美少年の小僧は向上心が強く、経典の細かな文句に夢中になる傾向(「癖」)があったのでしょう。それが一休を妙な方向で刺激することになったというわけです。
 日本の僧侶の妻帯は平安末期には不思議でなくなったと書きました。室町僧の一休もまた妻子持ちでしたが、次はそれについて詠んだ詩です。ちなみに冒頭の「勇巴」(ゆうは)とは男色の隠語、「慈明」(じみょう)は好色で知られた僧侶の名、最後の行の「雲雨」は男女の交合をさし、「楚台」とあるのは楚の国王が一夜仙人の女と契った伝説の場所を意味します。なお、「任他」は「さもあらばあれ」と読みます。

 勇巴 興尽きて 妻に対して淫す
 狭路の慈明 逆行の心
 容易に禅を説き 能く口を忌む
 任他 雲雨楚台の吟

 これも現代文に直すと、
「寺の小僧たちを相手に少年愛にふけることには飽きてしまった。そこでこんどは妻とセックスを楽しむことにした。好色で聞こえた慈明和尚ではないが、人の逆へ走るのがわしの性分。凡百の坊主どもは『禅、禅』と簡単に説教を垂れたがるが、そんなことはするものじゃない。ここは何はともあれ、女との交合の機微を詩に口ずさんで艶っぽく暮らすのが一番なのさ」
 一休は応仁の乱の頃を生きた僧侶でしたが、その約百年のち、日本を訪れたヨーロッパの宣教師は日本人の性事情にふれて「日本では聖職者である僧侶が男色にふけることで一般の庶民もこれをまねて自然な習俗になった」という観察記録を残しています。
『狂雲集』には「沙門、何事ぞ邪淫を行ず。血気識情、人我深し。淫犯、もし能く情識を折らば、乾坤忽ち変じて、黄金とならん」(修行者ともあろう者がなぜ邪淫をおこなうのか。血気が盛んで人情が深いからだ。邪淫によって煩悩を打ち砕く。それはまさに天地を黄金に変えるふるまいではないか)という開き直ったような詩もありますが、これをふくめて一休の詩は「一切のとらわれからの解放」というブッダが定めた至高のゴールの教えをあえて挑発的、露悪的に論ってみせたものでした。
日本社会に「男色」を根づかせた張本人が僧侶だったというキリスト教の宣教師の見方の正しさはわかりません。いずれにせよ、日本の仏教は、性的な規範に関するかぎりブッダにみせたらひっくりかえるような「伝統」を築きあげたわけで、一般庶民の性風俗もまた同時代のヨーロッパ社会にくらべてはるかに自由だった。明治時代に再来日した宣教師たちは日本の庶民の奔放な恋愛事情と離婚率のあまりの高さに一驚しましたし、江戸時代の武士の間の「衆道」の伝統を引くまでもなく、LGBTについて「日本の伝統」の名のもとにひたすら排斥する理由などないという見方には一理あるように思われます。
 米国の社会事情にくわしい政治学者の村田晃嗣さんは、LGBTの人権が急速に受け入れられてゆく一方で古い差別や偏見も根強かった90年代初めの米国での滞在体験をもとに、「LGBTを取り巻く社会環境としては、今日の日本は四半世紀前のアメリカを想起させる」(『Voice』2018年10月号)とのべています。
 ただ、村田さんも指摘するように、「ポリティカル・コレクトネス」のあまりの過熱(これがトランプ大統領を誕生させた)に代表される「リベラル病」の直輸入に走ることが一考を要することもまた明らかでしょう。
 仏教が「一切のとらわれの解放」を誕生の当初から教えの旗印にしたことはまえにのべました。インド仏教はその後、あらゆる極端主義へのとらわれを排することを「中道」と呼び、中核の思想におきました。 
日本では2017年に東京の渋谷区が同性カップルに「パートナーシップ証明」を発行したのをきっかけに同種の証明書をだす地方自治体もふえ、同性カップルを結婚した社員と同じ福利厚生の対象とする企業も珍しくなくなってきました。
 今後は「リベラル」、「保守」ともに米国流の杓子定規な「原理主義的」な態度、一刀両断的な議論をたがいに避けつつ、下からの動きをいわば掬いあげる形でLGBTをめぐる環境を好ましい方向へもってゆく。重要なのは、議論の風通しの良さを確保することで、目を吊りあげた金切り声は、過度のとらわれによる不自由さを通じて問題の混乱しかもたらさない  仏教の「中道」の観点からはそんな結論になりますし、この程度のこともできないのなら大して成熟した国ではないということになる気もするのですが、どうでしょうか(2018.9.26)

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