仏教から読み解く『八つ墓村』

『八つ墓村』はミステリー作家横溝正史の代表作の一つ。
 1977年には野村芳太郎監督(渥美清主演)により映画化され、その後96年には市川崑監督(豊川悦司主演)によりリメイクされ、どちらもヒットしたので、知っている方も多いかもしれません。
 とくに、前者の封切りの際には登場人物の一人が発する「祟りじゃあ!」がその年の流行語の一つにもなりました。
 ところで、だいぶ前になりますが、「ブッダの教えは中国へきて九十度曲がり、日本でさらに九十度曲がった」という冗談を言った人がいました。
『八つ墓村』では、連続殺人犯の手にかかって八人の人間が毒殺あるいは絞殺されますが、面白いことに、そのうちの三人はお坊さん(二人が尼僧)です。
 仏教的な習俗はこの横溝の人気小説のなかでそれヌキには作品がなりたたないほど重要な役割をはたしています。
 では、もし仏教の開祖ブッダを二千五百年後のこの日本にお連れして、『八つ墓村』の世界を教えてあげたら、どのような感想をお述べになるか?
 私はこのたび『ブッダの毒舌』(芸術新聞社)というブッダの名言を集めた本を監修しました。
 そこで、今回は、そのいわば「番外編」として、『八つ墓村』を、
「死者の霊」
「神への祈り」
「先祖の悪業の報い」
 という三つの観点から読み解くことにしたいと思います。
 なお、素材に用いるのは映画ではなく、原作の小説の方であることをお断わりします。
 *  *  *
【死者の霊】
『八つ墓村』(以下、とくに断らないかぎり原作小説をさす)の舞台となった八つ墓村の名の由来は、八つ墓明神にあります。
 これは、永禄九年(1566)、いまから四百五十年余り前の戦国時代、村人たちが村にやってきた尼子一族の落ち武者八人を惨殺した。その怨霊を鎮めるために八つの墓をたてたことからつけられた不気味な名でした。
 その怨霊は、落ち武者たちへの襲撃を指揮した、小説の主人公辰弥の先祖だという田治見庄左衛門を発狂させ、庄左衛門は当時の村人七人を斬り殺したあげく、自分の首をハネて死んでしまう。
 そして三百数十年後の大正時代のある日、こんどは庄左衛門の子孫である当主の要蔵にとり憑いて、かれに村人三十二人を惨殺させ、その後要蔵本人は失踪するという事件を引き起こすに至る。
 さらにそれだけは飽き足らず、この小説の舞台となる二十数年後の敗戦直後の八つ墓村で、田治見家にまつわる人々が何者かの手で次々と怪死をとげる。
 村人たちは、八人の落ち武者の霊がいまや三たび「八つの生贄(いけにえ)」を要求しようとしている。犯人は「八つ墓明神のいかりを鎮めるために……生贄をそなえようとしているのではないか」という疑心暗鬼の「わけのわからぬ激しい渦」にほうりこまれ、パニックを増幅させてゆく……ゆくのですが、では、ブッダがこれを見れば何というか?
 おそらく、その第一声は、
「あんたら、なにパニクッてんねん?」
 だったでしょう(べつに関西弁でなくてもよいのですが、毒舌をどぎつくなく表現しようと思うと、なぜかこうなります)。
『八つ墓村』では、尼僧(のちに殺される)の一人が非業の最期をとげた落ち武者の祀られる塚のそばで「数珠をもんで」「一心不乱に」祈る場面がでてきます。
 また、これは少し前の話になりますが、TVの「超常スペシャル」番組によく登場する織田無道という巨漢のお坊さんがいました。
 この無道さんの売り物は「公開除霊」。かれはスタジオで、大声でお経を唱えながら、「悪い霊のとり憑いた」人の体を叩いて、霊を「追い払う」迫力あるパフォーマンスで、当時引っ張りだこの人気者になったものです。
 ですが、これらは、「ブッダの考え」からすると百%ナンセンスな話なのです。
 結論からいえば、ブッダは、
「死後のことは死んでみなければわからない」
 という立場をとっていました。
 これは『スッタニパータ』という古い経典にでてくる問答ですが、ある人から修行者の魂は死後どこへ行くのかと聞かれて、
「死後のことはだれにもわからない。生きている人間に死後の世界を知る手だてはないからだ」
 とブッダは答えています。
 これは西洋哲学の用語でいう「不可知論」の立場ですが、この考えからすれば、霊による「祟り」をめぐっていい大人が阿鼻叫喚の大騒ぎ、昂奮状態で狂乱し続ける八つ墓村の人々は、「霊」などというあるかないかわからないものに怯えてヒステリーに陥ったヘンな人たちとしか呼べない、ということになります。
 *  *  *
【神への祈り】
 そして、このブッダの「不可知論」は「神への祈り」についてもあてはまります。
 ブッダの生きたインドは、今も昔も、ヒンドゥー教を主要宗教とする国です。
 ただ、ブッダの活躍した当時、二千五百年前のインドでは、ヒンドゥー教(バラモン教ともいう)が低迷に悩み、知識人を中心に無神論が大流行する時期にあたっていました。
 実際、ブッダもまた無神論者と目され、当時のヒンドゥー教徒が用いた悪口で「ナースティカ」と呼ばれて、異端視されました。「ナースティカ」とは「そうではないそうではないと言う人」、何でも疑ってかかる人間の意味です。
 この「ナースティカ」はいまふれた通り無神論者をふくみますが、懐疑主義者あるいは不可知論者もふくまれ、実際には、ブッダは神についての不可知論者でした。
 ヒンドゥー教の世界創造神にブラフマー神という神がいます。
日本では「梵天」の名で訳されましたが、ブッダはこの梵天が住む天上の世界についてあれこれとうんちくをたれるヒンドゥー教の祭司の言葉を「噴飯物」と切り捨てています。
 また、ヒンドゥー教の祭司は、祈祷の力で神を呼び出すのを得意としていましたが、これについても、
「かれらの行いは、河のこちら側にいる人間が『向こう岸よ、こちらへ来いこちらへ来い』と呼びかけるのにひとしい」
 と痛烈にこきおろしています(『ブッダの毒舌』を参照)
『八つ墓村』では、八人の殺された落ち武者がかれらの怨みによる祟りを怖れた村人たちの手で「明神」にされ、塚に祀られました。
「明神」というのは一般に「霊験あらたかな神」をさす、神の尊称です。
 だれかが非業の最期をとげたとき、その魂をなだめるために「神」の名をあたえて祀るのは、日本に古くからある宗教的な風習です。
 が、神は――その前身、正体がどんなものであれ――ブッダにとって、それにむかって祈ったり、なだめたり、ましてや願い事を叶えてもらう存在ではなく、その種のふるまいは「時間の無駄」というしかないものでした。
 *  *  *
【先祖の悪業の報い】
 ところで、もしこうして死者の霊にとらわれること自体がナンセンスな行いだとしたら、「祟り」を怖れて騒ぎまくるなど、愚の骨頂だということになります。
 要するに、またもや「なにパニクッてんねん」ということに――ブッダの立場からは――ならざるを得ないわけですが、ここでとりあげたいのは、「先祖の悪業の報い」という考え方です。
『八つ墓村』のなかで、村の有力者である田治見家の人々は、落ち武者殺しの首謀者の子孫だということになっています。
 そして先祖の「悪業」の報いとして、田治見家の人々は代々「狂疾」を引き継ぎ、定期的に(?)惨殺事件を引き起こしては呪われぶりを発揮している、というのが村人たちの共通了解になっている。
 この「業」というのはインドの言葉の、
「カルマ」
 の漢訳語です。カルマは、英語ではactionと訳される通り、行動、その人間が生に刻みつけた行いのことをさします。
 よく知られる通り、インド人はこうした「業」の相続をサンサーラ、輪廻と呼びました。
 要は、「前世の行いの良し悪しが現世での人生の良し悪しを決定する」という因果応報の思想ですが、一つ注意すべきは、これはあくまで、
「Aという人間が前世で犯した罪の報いをA自身が現世で受ける」
 という個人単位の、徹底した「自己責任」の思想だということです。
 したがって「先祖」のだれかが犯した悪行の報いがその子孫におよぶわけがない。
 なぜなら、先祖はその子孫にとって他人であり、他人の罪を別の人間が引き受けるなど、「自己責任」の論理からいって、あり得ない話だからです。
 日本には、「親の因果が子に報い」という言葉がありますが、これはインド本来の「輪廻」とは異なった、風変わりな「輪廻」解釈です。
 一言でいえば、日本の先祖崇拝の土壌が生み出した独自の「輪廻」理解というべきかもしれません(もちろん、先祖崇拝自体は日本だけのものではありませんが)。
 ブッダはインドの人でした。では、そのかれは、インドの「輪廻」に対してどんな態度をとったのか?
 答えはもはや明らかでしょう。【死者の霊】のところでふれたように、ブッダは死後の世界、つまり「あの世」については不可知論をとりました。
 そうした立場からは「生まれ変わり」の有無が不可知の対象となることはいうまでもありません。
「輪廻があるかないかわからない以上、輪廻という考えにはとらわれるな」
 と、これがブッダの考え方でした。
 そしてこのように自己責任論にもとづく「正しい」因果応報思想、輪廻さえ否定されるからには、日本流の「まちがった」輪廻へのとらわれが無意味とみなされるのは、当然の話だというべきでしょう。
 *  *  *
 日本仏教は、一言でいえば、ブッダの教えからの「大いなる逸脱」の果実としての仏教です。
 もちろん、急いでつけ加えるならば、これは必ずしも悪い意味ではありません。逸脱するには逸脱するそれなりの理由があったのですが、その話はいまは外においておきます(興味のある方は私の『裸の仏教』/芸術新聞社その他をお読みください)。
 我らが横溝正史は日本仏教を浸す「土俗」の世界に魅かれ、因縁渦巻く「祟り」の物語を極彩色の筆致でよみがえらせようとした。
 その結果世に送りだされた大傑作、それが『八つ墓村』です。
 それは、ブッダからすれば「聞いてないよ」というしかない世界になりましたが、だからこそ面白いのです。
 横溝正史は日本仏教の歴史的な「大脱線」なしにこの小説を産み落とすことはできなかった。
 かれにとっては日本仏教サマサマだったということにもなりますが、ただ、念のために言うならば、日本仏教もすべてが呪術の世界で回ってきたわけではありません。
 日本仏教のなかで呪術的な要素の促進を引き受けたのは密教ですが、その密教の大宗派に真言宗があります。
 真言とはマントラの漢訳語で、聖なる呪文の言葉をさします。密教はブッダの死後千年余りたった頃のインドで本格的に誕生し、中国経由で日本に輸入されますが、中国では滅びてしまい、日本(およびチベット)に残りました。
 日本には禅宗や浄土仏教、日蓮宗など多くの宗派がありますが、密教の影響をうけていない宗派はないと断言できるほどです。
 わかりやすい例でいえば、浄土仏教の「南無阿弥陀仏」という口称念仏、日蓮宗の「南無妙法蓮華経」という唱題、この二つは明らかに真言密教の呪文を模倣したものですし、一見「神秘主義」と無縁そうな禅宗ですら魔除けのダラニをもっています。
 ダラニもインド由来の呪文の一種ですが、では、日本仏教はすべてが呪文を唱えて「死者の鎮魂」にいそしんでいたのでしょうか。
 禅宗の大宗派である曹洞宗の宗祖に道元という禅師がいます。
 この道元はあるとき、「霊魂の不滅」について問われて、
「そのような考えを仏教だと思うのは瓦や石ころを黄金の宝とみるよりもっと愚かだ。愚かすぎて恥ずべきことこのうえない。人は生まれて死ぬ。この事実をうけいれるところ以外に悟りはない」
 と語っています。
 ブッダ顔負けの「毒舌家」ぶりですが、こう主張する道元がブッダの基本姿勢、あの世についてくよくよ悩む暇があるなら、さっさと修行して、生きている間に悟り(あらゆるとらわれからの解放)の境地を得なさいな、という姿勢を忠実に引き継いでいたことは明らかでしょう。
横溝は『八つ墓村』の前に、曹洞宗の寺の住職が事件の重要な鍵を握る作品、これも映画化されて有名になった『獄門島』を書いています。
昭和の初めからキャリアを積み重ねた横溝は、日本の敗戦後、耽美主義の「怪奇浪漫」の、草双紙趣味あふれる傑作を相次いで発表します。
『獄門島』(昭和22―23)、『八つ墓村』(昭和24―26)もそんな系譜に属する作品ですが、怨念ドロドロの「怪奇浪漫」の徹底ぶりにおいては『八つ墓村』に軍配があがるでしょう。
 横溝は『八つ墓村』のなかで、村での連続殺人が始まる前の一節で、物語の中心となる田治見家の当主が最近先祖代々の禅宗から真言宗に事実上の宗旨替えをしたことを、さらりと書いています。
 これは、一見目立たない、しかし仏教に知識がある推理小説ファンが読めば「呪術的世界」の幕が開けようとしている示唆かと気づく伏線でした。
横溝は明晰な計算のもとに、因縁が因縁を呼ぶ怨念ドロドロの世界をとりあげ、一大エンターテインメント作品に仕立てあげた。
 日本仏教の「大逸脱」と、それを楽しみながらも対象化して自在に作品の骨組みにする作家の熟練し洗練された手腕――『八つ墓村』はこの二つががっちりと握手したところに生まれた傑作小説だったということができるでしょう。
 以上、『ブッダの毒舌』の番外編として、『八つ墓村』を仏教から読み解きました。(了)

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