仮想通貨と仏教

 このサイトの論文やエッセイでは、何回か(というかほとんど毎回)、仏教の「空」の思想についてとりあげてきました。
 ここで、結局「空」とは何かについてあらためておさらいをしておきましょう。
 その際、役に立つのが最近なにかと話題の「仮想通貨」です。
 仏教が説く「空」の原語は古代インドの、
「シューニヤ」
 という言葉です。これはインド数学の「ゼロ」をさすもので、
「ものが『空』である」
 と言えば、ものがゼロであること、つまり、
「ものが固定的で不変の実体を欠く」
 という意味として用いられることになりました。
 日本が六世紀以来輸入した大乗仏教がこの「空」思想を目玉にしたことは、すでに見た通りですが、この「空」をインド人がどこから発想したかについては一つの面白い仮説があります。
「『空』は貨幣から思いつかれたものである」
 という説で、宗教学者の保坂俊司さんがご著書のなかでお書きになっていました(今までのところ、ほぼほぼ無視されているようですが)。
 しかし、ホントの話、貨幣とはフシギというしかないものです。
 そして、では、そのフシギさはどこからきているか? とあらためて考えてゆくと、
「実体性の徹底的な欠如」
 という貨幣がもつ本来的な性格に行き当たる。この点は、貨幣の歴史をふりかえってみればよくわかります。
 どういうことかというと、貨幣の貨幣たるゆえんは、その実物における、
「形式の無制約性」
 とこれはカタい言葉ですが、要はどんな物でもその形として投入できるところにある。
 たとえば、金・銀・銅などの金属でもよいし、石や貝殻でもよいし、紙でもよい。
 つまり、貨幣の価値はどうみてもその形式そのものにはない。その価値は、
「これは価値があるのだ」
 という無根拠な断定、フィクション(虚構)の取り決めが生んでいるという事実がわかってくる。
 そしてこの貨幣の本来的な「仮想性」、これを明確に教えてくれるのこそがビットコインなどの、
〈仮想通貨(Virtual Currency)〉
 にほかなりません。米国では〈暗号通貨(Cryptocurrency)〉という呼び名の方が一般的なようですが、その発明者たちは、
「インターネット上に流れる情報」
 を通貨(=貨幣)とみなした。みなすことで、金・銀・紙といった貨幣の形式がもつ素材性をかぎりなくゼロ化した。したことにより、結果として、
「実体性の徹底的欠如」
 という貨幣なるものが当初からそなえた「本質」を徹底的に見せつけることになったというわけですね。
「空」を仏教英語辞典で引くと、void(真空)とかemptiness(空っぽ)が、対応する英語としてでてきます。
思えば、仏教徒は昔から「空」を表わすたとえとしてさまざまなものを用いてきました。
 夢、幻、陽炎(かげろう)、蜃気楼(しんきろう)、稲妻etc.
 ですが、二十一世紀の今日において、これらはイメージ的にいささか牧歌的すぎる印象はいなめない。
 いまや「空」のたとえとして最もふさわしいもの、それは、
〈仮想通貨(Virtual Currency)〉
 ではないのか? ブロックチェーンの技術的ブレイク・スルーがもたらす仮想通貨の未来から目が離せそうにありません。

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