グローバル帝国の運命と仏教

 いまは仏教ブームということで、街の本屋さんの仏教書のコーナーには、一般読者向けの入門書が山積みになっています。
 とくに若い読者が増えているのは、喜ばしいニュースです。
 ただ、そのように仏教に関心をもつ人々の間でも、けっこう知られていない話があるようです。
 たとえば、仏教が誕生当時はインドの最先端の、
「都市文化の申し子」
 だったということなども、その一つかもしれません。
 仏教はいまから約二千五百年前、大都市の勃興時代のインドに生まれ、都市の革新的な気風を追い風に、当時の(今もですが)保守本流の伝統宗教・ヒンドゥー教に異議申し立てする形で発展した、
「典型的な都市型宗教」
 でした。
 そして、そこにまた仏教という宗教の、
「強み」と「弱み」
 とが生まれることになります。
 ヒンドゥー教は保守本流にふさわしく、農村部を圧倒的に支配していました。
 一方、大都市は――何かと派手で目立つわりには――農村部を海にたとえれば、いわば島のような存在にすぎません。
 インドは、その頃から基本的にカースト社会です(最近、研究者の間ではカーストの代わりに「ヴァルナ」という語が使われますが、ここでは一般に親しみやすいカーストを用いています)。
 そこでは人々は上から順に、
 バラモン(祭司階級)
 クシャトリヤ(王族階級)
 ヴァイシャ(庶民階級)
 シュードラ(隷属階級)
 の四つのクラスに分けられていました。
 このうち仏教の最も強力な基盤となったのは、ヴァイシャに属する大都市とその周辺の商工業者たちでしたが、そんなかれらの運命を変えることになったのが、当時の、
「グローバル帝国ローマ」
 との貿易、具体的にはその衰退という出来事でした。
 *  *  *
 ローマとの通商が盛んだった紀元前二、三世紀から紀元三世紀の間のある時期以降、ローマの貨幣はインドの主要貨幣の一つでした。
 当時のローマではインドの産物が大変な人気を呼んでいたため、貿易の支払いにローマの貨幣が使われたためです。
 他に、ローマの貨幣を模したインドの貨幣も流通するなど、インドはローマ帝国が影響力をもつ国際的な通商のネットワークのなかに組み込まれていました。
 仏教の開祖は紀元前六世紀生まれのブッダで、かれはサンガとよばれる教団を創立しましたが、その生前、仏教の勢力は微々たるものでした。
 仏教の存在がインド社会で大きくなるのは、ブッダの死後、サンガの運営が後継の弟子たちの手にゆだねられてからのことです。
とくに、紀元前四世紀から三世紀にかけてインド初の統一帝国を建設したマウリヤ王朝下で国王の庇護をうけたのが、大きかったようです。
 面白いのは、その仏教が衰退期に入る時期がローマ帝国の歴史的な衰退期と重なるということです。
 ローマ帝国は最盛時には、二十世紀後半の米国のように覇権をほしいままにした国です。
 ローマ帝国はその後、異民族(ローマからみた「不法移民」)の侵入のなかで紀元三九五年に東西に分裂し、四七六年には西ローマ帝国が滅びます。
 そして、ほぼこの時期を境に、インド仏教は保守本流のヒンドゥー教の強い巻き返しをうける。年を追うごとに、ジリ貧におちいってゆきます。
 劣勢のきっかけとなったのは、さきにのべたローマとの貿易の途絶により、大都市の、
「国際派勢力」
 としての商工業者が没落したことでした。
 インド社会はこれ以後、ローカルな農業経済を中心とする「農村型社会」に移行することになります。
 それはそのまま、
「インド社会の保守化」
 と呼ばれる現象を長期にわたって招き寄せ、ここに仏教の支持基盤はもろくも失われることになります。
 *  *  *
 で、そのあと、インド仏教はどうなったか?
 進退窮まった仏教側は「新しい時代」に見合った宗教に生まれ変わろうと、ライバル関係にあったヒンドゥー教の教えをどんどん取りこむという手にでます。
 その結果、仏教はヒンドゥー教と見分けがつかなくなるまでになってしまう。なってしまうことで、存在意義を失い、ついにヒンドゥーの海にのみこまれる形でインドから姿を消してしまうことになりました。
 見方によっては、インド仏教は大都市の勃興とともに起こり、大都市の衰退とともに滅んだ、といえるかもしれません。
 そしてそこに大きな背景を提供したのが、世界帝国としてのローマであり、その覇権の盛衰のインパクトでした。 
 仏教の教えは国境を超えるという意味で、
「コスモポリタニズム」
 とシンクロする側面をたしかにもっています。
 が、その「ボーダーレス」的な性格はときに
「根無し草」
 になる弱点を強みとともにそなえている。
 ちなみに、米国――ローマ帝国の末裔というべき――は、どういう巡り合わせからか二十世紀の後半以降大変な仏教ブームをもちました。
現在米国から輸入されて話題の「マインドフルネス」の瞑想はまさにその所産です。
その「マインドフルネス」とつばぜり合いを演じている日本の「禅仏教」は、「ヒンドゥー教化」以前の仏教の古形を比較的よく保っています。
 一方、同じ日本仏教でも「ヒンドゥー教化」した形態をよく伝えるのが浄土仏教と密教です。
 一口に日本仏教といっても驚くほどバラエティに富むわけで、その違いを仏教の「都市的ルーツ」とのからみで眺めてみると、いろいろと見えてくるものがあるかもしれませんね。

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